原田秀俊(日本共産党前長久手市議会議員)

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【13.11.23】長久手市「非核平和都市宣言案」に???

パブコメを取った結果がこんな案に・・・・

待望の「非核平和都市宣言」案が提案されました。
 ところが、提案の最初の2行の文言につづき、「しかし」としての展開に異論があるのです。

長久手市非核平和都市宣言(案)
長久手市民は、戦争の悲劇を後世に伝えるため、古戦場を歴史的文化遺産として大切にしてきました。
 しかし、今なお世界各地では、武力紛争が絶えず、さらに核兵器の存在により、人類がその脅威にさらされています。
 こうしたなか私たちは、世界で唯一の戦争被爆国の国民として、戦争のない社会と核兵器の廃絶を真に願い、平和の実現をめざさなければなりません。
ここに長久手市は、平和の願いを新たにするとともに、「非核平和都市」であることを宣言します。
        平成 年 月 日  長久手市
11/21日、一般質問を提出に行き、議員控え室で「非核平和都市宣言」案が話題になりました。提案文書はどう思うと声をかけてみました。誰が考えたんだと語気も強く言われました。
 非核平和都市宣言案へのパブリックコメントの意見に「当市にはこの地が凄惨な戦場になった歴史がある。が宣言文にはない。そういう歴史を持つ市だからこそ一層平和の尊さを思う気持ちが強いという趣旨を宣言文に表現すべき。」があり、当局も「ご意見を参考に文章の見直しを」行ったとしています。これが長久手らしさなのでしょうか。
小牧長久手の戦いは、今から429年前の秀吉と家康が直接対決した戦い(いくさ)として有名ではありますが、宣言文にあるように戦争の悲劇を後世に伝えるため、古戦場を歴史的文化的遺産として大切にしてきたのでしょうか。私は、市がHPで発表したパブコメと回答をプリントして、皆さんに知らせて意見を求めました。正鵠(せいこく)の文が寄せられ我が意を得たりなのでので紹介します。

『冒頭二行の古戦場遺産を大切は、郷土歴史研究という全く違う次元なので削除。
例文・・長久手市民は、だれもが幸福にくらすため、戦争や核のない社会の実現にむけ、より一層平和教育に力をそそぎ、真剣に取り組んでいこうと考えます。』

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