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【13.10.23】長久手市「非核平和都市宣言(案)」へのパブコメ提出
「非核都市宣言」は、幅広い市民の参加で練り上げよう
非核自治体宣言(案)に対する意見
(1)「日本一の福祉のまちをめざす長久手市は、幸福であることを求めます。」の出だしについて、もっともらしいが、@現市長の「選挙公約」から出た言葉であり、まだ、市民全体の共通認識ならず、市長の選挙公約の範囲でしかない。Aしかも、今だ、具体性に欠けることから、核廃絶を究極の彼方に押しやることにみえる。
(2) 「さらに核兵器の存在が、平和に向かおうとする意思を阻害しています。」ここの「平和に向かおうとする意思を阻害しています」の「阻害」の言葉はふさわしくないし、表現も正しくない。
「阻害」を辞書で調べると、「じゃまをして物事を進行させないこと」とある。
「核兵器の存在」は絶対でなく、じゃまをしているのは、核兵器を保持している国々の指導者であり、核廃絶を宣言すれば無くしていくことが出来るものである。日本でも核兵器廃絶を求める運動は全国各地で粘り強く行われている。毎年、8.6.9の原爆の日には原水爆禁止世界大会も行われ、それに先立ち5月の始めには、国内で原水爆禁止世界大会成功を願って全国平和行進も行われている。
ここは、「核兵器の存在が世界平和を脅かしている」という様な表現であるべきである。
(3) 3.11大震災と福島原発事故を経験したことから、吉田市長は「絆」を強調している。未曾有の事故を体験した日本国民として、長久手市民としてこの教訓を取り入れた宣言文章とすべきではないか。 以上
吉田市長の言う「時間に追われる生活から、追われない生活について」ある辞書に以下の様な解説があり、これは参考になるので紹介します。
『近代社会は、資本主義経済が基準とする「時計の時間」によって支配されている。「時計の時間」は正確さを保証し、正確さは量と速さを保証する。時間単位ごとにより多く生産することは資本主義経済の命題だ。まさに時は金なり、である。
かくして、人間は時計に管理され主体性は失われていく。このように「何かに支配されて自分らしさ失っている状態」を「阻外」というのである。
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