原田秀俊(日本共産党前長久手市議会議員)

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【12.07.16】わが故郷、北部九州豪雨に襲われる

1953年6月筑後川大洪水以来59年振り

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 7/3日に集中豪雨が大分県日田市などを襲い、また、10日後にその時を上回る豪雨があり、筑後川の上流域だけに止まらず、支流域にも被害が及びました。
写真は、2008年5月に帰省した時のものです。左手が杷木町の中心部商店街、右手の建物は、筑後川温泉街です。写真の右隅に上流からの放水路があります。
 今回、筑後川の水位は、左手の木の2/1の高さまでいったのではないかと思います。
 
 筑後川では、今から59年前の1953年6月に大洪水がありました。筑後川は上流に橋がありますが橋の直ぐした当たりから湾曲し始めます。水流は川岸に直接当たり当時道路と川岸に家並みがありましたが大きくえぐり取り家並みの流失と、道路も2/1以上がえぐられて流失して地形が大きく変わりました。
当時のことが杷木町史に掲載されていますので紹介します。
筑後川の大洪水について (杷木町史より)
「梅雨前線による豪雨は、雨量は1日の降雨量400oを超えて時間雨量にして80oを越える所もあった。5日間の連続雨量は大山川流域で平均960o、玖珠川流域で880o、中流で700o、下流で600o。上流の大分県では、流域全耕地の32%に当たる2760町歩が被害を受けた。福岡県では原鶴一体の耕地を始め3600町歩を流失埋没した。原鶴温泉から8.9q上流部にある夜明ダム
を破壊した。被害金額は360億円以上といわれる。」
 当時、私は5歳でした。我が家は床下浸水で済みましたが、家の前の道路が川になりました。家の50b西側は下り坂でその下の地域は床上浸水の被害でした。
 今回の雨量は3日間で800oにも及ぶところがあったとか。被害に遭われた皆さんにお見舞いを申し上げます。
 筑後川は、59年の間に、河川改修が進み、私たちの地域だけでも2本の放水路が整備され堤防も2段構えに整備されていますので、今回は大丈夫でしたが、下流の原鶴温泉旅館には避難指示がでたと聞きました。被害がなければよいのですが。

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