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【12.01.12】前加藤町政は、32年間保育園を造らず
人口15,000人時代に5ヶ園、45,500人で+1ヶ園
人口増と保育園の推移(図は原田が作成したものです。)
長久手市の保育園は現在6ヶ園で、総定員数は830名です。上郷保育園、東保育園が1954年4月、色金保育園は1955年4月に開設。1970年に西保育園開園いずれも村の時代です。
しかも、この内3ヶ園は発足は大字長湫区、岩作区、上郷区の設立で、1971年町制施行前に村に移管したものです。 人口15,000人の時代に5ヶ園となりました。
その後、1976年に北保育園を開設後、32年間保育園を造りませんでした。1999年4月の町会議員選挙で原田議員と浅井議員と2名党公認で当選しましたが、その当時から「豊かな財政力を町民生活向上に使うべき」と訴え、保育園建設を公約の柱にしていました。
途中、西保育園の移転改築、色金保育園の移転改築でどちらも施設定員を大幅に増加しました。新しい保育園は、結局、32年間かかりやっと長湫南保育園ができました。
しかし、その後も人口が急増し、子育て世代の所得が伸びない中で保育需要は高まりましたが、一時期、入園申し込みを窓口で受け付けもせず、あきらめさせて待機者は存在しないとする事もありました。
また、2005年の万博前から始まった南部区画整理事業で2008年4月に小学校開校するということが宣伝され、区画整理事業のコンセプトにも評判となり人口が急増しました。 区画整理事業の宣伝パンフに保育園用地が明記されていたこともあり引っ越し先に選んだと人気が高まったものです。
ところが、当局は、用地購入は2012年度に、それから設計など準備して、建設はそれからとはっきりしません。
人口が52,000人越えて市制に移行しても7番目8番目の保育園が見えないのです。
市行政は、保育園建設で市民の要望に応えなければなりません。
前町政は人口が急増したにも関わらず、32年間保育園を造らず、定員を650人から段階的には増加してきましたが、南保を造って800人に。
しかし、その後は、施設に余裕がある所に詰め込みで対応するというお粗末さです。
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