原田秀俊(日本共産党前長久手市議会議員)

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【10.12.05】杷木は私の故郷、自慢の杷木の柿です

今年は不作、送るのは1回、そこを何とかとおねだりしたら

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 故郷は、富有柿の名産地です。私の生家の跡地と、筑後川の堤防の近くの畑が柿畑になっています。写真の左、大きい柿は渋柿でした。
 全部で15本程度の柿の木ですが、長姉、兄や親戚、姉の友人などに送ったり、原鶴温泉の近くにある道の駅「ばさろ」に出荷したりして、好評だそうです。何時もは、写真の右側の大きさの物が送られてきます。
 今回、退職して博多に住んでいる兄が柿ちぎりに行くと聞いたので、今年は1回5sだけしか送られんと姉が言っていると言いましたら、「杷木に行ったら、柿の木上の方にまだなっとったようなので送る分があったら頼んでみる」となっていましたが、期待は半分にしておきました。
 ところが、1箱送ってくれて、その中にあったのが写真左の大きな柿(渋柿)でした。私が小学性の頃の11月末か12月にはいってからだったか農産物の品評会が小学校の講堂で行われていました。当時は富有柿の産地は、志波地域が中心でしたが、出品された富有柿はもう一回りの大きさのように覚えています。
 現在は、旧杷木町全域に富有柿栽培は広がっています。4年ほど前に、NHKの深夜放送に柿農家が1ヶ月に1回、インタビューに登場し、柿の成長や手入れのことなどの話が出て良く聞いたものです。聞き始めの時は、てっきり志波地域の方と思っていたら、昔20世紀梨の産地だった松末地区の方と聞いて梨から柿への転換、様変わりに驚いたものです。
 小学4年くらいまでは、ふゆう(富有)かきを「冬柿」と覚えていて、どうしてふゆかきと言うんだろうと不思議に思っていて、ダンボールの箱に書いてあった字を見て勘違いに気がつき、思い込みの強いのに恥ずかしい思いをしたものです。
 追記
 写真の大きい柿は渋柿でした。へたの所に枝が残してあったのでそうかなと思ったのですが、こんな大きい渋柿は見たことがなく、富有柿にしてしまい、昼、食事にいく喫茶店のみなさんに渡して帰ってきて、夜、お礼の電話を入れた時に渋柿と判明したものです。裏年でなったのが少なくて大きく育ったのだそうです。あわてて電話を入れましたが、まだ、そのままにしてあり、食べないようにお伝えしました。
 

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