原田秀俊(日本共産党前長久手市議会議員)

<< 活動日誌の目次に戻る印刷用画面 >>

【10.05.03】閑話休題・・嬉しかったこと

人との絆を感じて、嬉しい話2題

 一つ目は、姪の結婚式3月27日(土)に、前日に帰省しました。26日小牧空港から福岡までの往復便を、特割の付いているときに購入していましたが、26日尾張東部衛生組合議会が午後2時から開催されることになっていたのに、キャンセルの手続きが遅れて返金が半分以下に、その上、議会の終わったのが午後5時過ぎと、のぞみ19:19発、博多の兄の家に着いたのが、午後11時半という強行軍でした。
 姪は、大学国文科で司書資格は取り、学校司書として小学校の臨時職員として働いていました。その後、先生になりたいと教員資格を取るために再入学し、臨時教員として3年働いていました。
 教え子たちは誰か来てくれるかな、臨時教員だから無理か、と思っていたところに、担任していた32名の子どもたちが全員参加。1人1人の子が先生としての姪の様子を紹介してくれました。その中に、「お母さんに抱っこして貰う宿題の時に、やって貰えなかった子を先生が抱きしめてくれたこと」「本をいっぱい読んでくれたこと」「叱られるときは大きな声で怖かったけど、ちゃんと謝れば後はさっぱりと許してくれた」など、私が、抱いていた教師像に近い事を実践していたことが分かりました。
 始めて勤務した小学校の教え子(1年生から持ち上がりで2年生まで)たちは、保育士の姉が保育園で担任していた子どもたちを、妹が先生で担任することになって、先生はピアノがへたと子どもたちが言うとわらってもいました。始めて受け持った子の親御さんからも行きたいとの声も聞こえてきたけど、そこの地域のお祭りの行事がありメッセージが届いていました。

2つめは、地域の会合が終わってからの事ですが、ある人から「原田さんは何党の議員ですか」と声を掛けられました。共産党ですが、なにかと尋ねると、「私は、若いころいじめられましてねと・・」、昔を思い出されたのか、言うのと同時に悔しさが思い出されたのか言葉が詰まりました。
 その方の家で、奥さんが議会だよりを読まれて「原田さんは一本筋金が入っている議員さんのようだね」と言われたのだそうです。それじゃ皆さんが帰った後に聞いてみようとなったとの事でした。
豊田市内の会社で働いていたのだけれど、思想差別でひどい仕打ちを受けて、退職を余儀なくされたとのことでした。でも、選挙ではずーっと共産党を応援してきましたと言葉を頂けました。

<< 活動日誌の目次に戻る印刷用画面 >>

 ご意見、ご感想をお寄せください。

このページの先頭に戻る