原田秀俊(日本共産党前長久手市議会議員)

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【09.04.06】母の日を前に、母に言えなかった一言

03年5月しんぶん赤旗「母の日特集」記事に掲載されたものです。

私の故郷は筑後川の畔です

母に言えなかった一言          
母が家に居るようになって、私が小5か6年生になってからか定かではありませんが、母が何気なく「年取ったら秀ちゃんに面倒見てもらおうか?」と言った時に、私は「面倒なんかみらん、養老院にいれる」といってしまったことを思い出します。
 母が若(28才)くして夫を亡くし、乳飲み子の私・生後6か月(他に姉8才・兄6才・祖母)を抱えて11年間もがき苦しんでいった母になんと言うことを言ってしまったことか。
 母が、なぜ命を落としてまで、子の犠牲になってしまったのかが分かりました。働きながら日本福祉大学で学び、友人たちと議論もする中で、どんな境遇になろうとも一人ひとりの人間が何の犠牲にならなくて生き抜き、人として豊かな人生を送ることができるような社会を造らない限り解決出来ないことを知り学びました。そして、その事は考えるだけでなく、社会を変えることでしか実現出来ないこと。そういう社会を作ろうとしている日本共産党の存在を知り、党創立50周年記念の7月22日入党し、日本共産党の一員になりました。
 今、縁あって、故郷ではない町で町会議員として二期目(現在3期目)を努めることになりました。写真は、筑後川で下流を見ています。私達の地域は写真の右側です。
子ども頃は水が流れている川幅は半分くらいでした。川を泳いで渡れるようになったのは、遅くて6年生の夏でした。魚は本当に良く取れました。
ところで、去年、詩人の竹内てるよさんの「頬」という詩を読みました。その詩にはこう書いてありました。
「生まれて何もしらぬ吾子の頬に▲母よ 絶望の涙をおとすな▲その頬は赤く小さく 今はただ一つのはたんきやうにすぎなくてとも▲いつ人類のための戦いに燃えないと云うことがあろう(略)▲生まれて何もしらぬ吾子の頬に▲母よ 絶望の涙をおとすな
母に「一人はみんなのためにみんなはひとりのために」をモットーにこれからも頑張っていくからね。母の日には1か月も速いのですが。HPでは未発表でしたので掲載いたしました。

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