原田秀俊(日本共産党前長久手市議会議員)

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【08.12.11】閑話休題 41年前トヨタ自動車にいました

団塊の世代のブームとクルマ 初代カロ-ラに会ってきました

懐かしい初代カローラと 1967年5月。働きながら日本福祉大学の夜間課程に行くために、学費と通学可能な公務員になると目的を持って愛知県に出てきました。事前に、九州でどこが良いか新聞の求人広告を見て工業化学科卒なので岡崎市の繊維会社か、車社会の幕開けのトヨタ自動車かとなり、結局当時日給が少し高かった(日給680円、その内720円になりました)トヨタ自動車にしました。新聞の臨時工求人案内広告を持って、夜行列車で名古屋市の面接会場へ。そこでトヨタ自動車高岡工場に決まりました。バスで豊田市へ、落ち着いた先は6人部屋。研修終了後に、工場の近くの独身高岡和風寮(2人部屋)に移動。
 前年の66年10月にオープンしたばかりの高岡工場・塗装課に配属。昼夜2交代で勤務に就きました。製造するのは発売になったばかりのカローラです。(写真・トヨタ博物館で懐かしのカローラと。案内の職員の方に撮影してもらいました)。仕事は、ダッシュボードが黒く塗装された鉄板で、車体の塗料が掛からないように紙で覆う作業でした。当時は、工場も生産が軌道に乗っていなくて、夜勤の時、ラインに一台も流れて来なかったり、一時間に数台の事もありました。しかし、1年後に退職するころには、隙間もなく連続して流れて来ていました。
 昼夜2交代は、夜勤に身体がなれてきたなと思ったら、次は昼勤で体調の維持に苦労しました。夜勤明けに豊田市の図書館に行ったりして公務員試験の受験勉強をし、名古屋市と国家公務員初級試験に合格(名工大職員の採用面接で落ちた)。当時、名古屋市水道局は2年後に春日井浄水場の完成を控え、水質係職員を求めていた。工業化学科卒で技師として採用されました。就職した1年間、今度は日本福祉大夜間部を目指して大学入試勉強をし、昭和区杁中にあった福祉大社会福祉学科にはれて入学できました。
 

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