原田秀俊(日本共産党前長久手市議会議員)

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【08.09.06】閑話休題 育ちの家原田理容店取り壊し

父の61回忌(9/13日)を前に

今は無い「原田理容店」 全景 

父の61回忌(9/13日)を前に(活動レポート NO.214閑話休題に加筆)
今年は、実母の50回忌と私を育ててくれた原田理容店が廃業し取り壊になるという、記念する年になりました。父は60年前の9月13日、私が生後半年になろうとしていた時に病死しました
 床屋は、昭和の始めからの営業で初代は明治生まれのクマ、2代目は大正生まれのサチ子、3代目は戦後生まれのマサ子と女で3代続きました。旧杷木町久喜宮地域の床屋としてお客さんたちから惜しまれての廃業だったそうです。
 昭和13年に、叔父(昌乗)が、未婚だった叔母クマの養子となり、床屋の跡取りをすることに。筑後川を隔てて理容師となっていたサチ子さんを嫁に迎えて新店舗で開業。店は、当時の久喜宮村役場の建物を現在地に移転改築し開業したものです。3代目が私のすぐ上の姉・マサ子です。姉マサ子は、生まれてすぐに叔父(昌乗)の所へ養女になり、結局床屋を継ぐことになりました。養母(サチ子)さんは90歳を超えても現役で、さすがにカミソリを使うことは有りませんでしたが、去年07年夏に帰省した私の髪をハサミで整えてくれました。
 その店も今年(08年)6月に入ってから取り壊し、近く、育ての母親のサチ子さんの離れを建てることになっています。また、私の実母の里は金沢です。遺骨が分骨して金沢の実家の墓地に納めてあります。この6月に泊まりがけで兄姉兄妻と4人で親戚に墓参りを兼ねて挨拶に訪ねました。次の日の午前中、分骨してある墓地を訪ねて、約2時間近く探して、もう諦めて帰ろうと言って、運転していた兄がハンドルを切ったら突然目の前に墓地が現れ、遂に探し当てる好運も。一行4人、何かの縁を感じて帰ってきました。(秀)

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